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東京都文京区の歴史
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所在地 文京区本郷2-1-1

  順天堂大学
 順天堂は、天保9年(1838)、江戸・薬研堀(現在の東日本橋2-6-8)に医学者・佐藤泰然が設立したオランダ医学塾に端を発し、いまに繋がる日本最古の西洋医学教育機関です。江戸時代後期、江戸より下総佐倉(現在の千葉県佐倉市)に移った順天堂は、全国各地より百数十名を超える俊英が参集し、「日新の医学、佐倉の林中より生ず」といまに語り継がれるが如き、西洋医学研究・教育、そして臨床医学実践の場となりました。
 明治2年(1869)、順天堂第二代堂主・佐藤尚中は、明治政府の要請を受け、佐倉より多数の門下生を率いて上京し、宮内省「大典医」・文部省「大学大博士」を拝命し、大学東校(東京大学医学部の前身)の初代校長として近代医学教育確立に尽力し、西洋医学教育最高学府(東京帝国大学医学部)の礎を固めました。
 順天堂第三代堂主となる佐藤進は、明治2年(1869)、明治政府発行の旅券第一号をもってドイツに留学し、明治7年(1874)、アジア人として最初のベルリン大学医学部卒業生となりました。ドイツより帰国した佐藤進は、明治8年(1875)、順天堂病院長・第三代堂主となり、陸軍本病院長や日清・日露両戦役の陸軍軍医総監も兼務し国難に対峙し、そして明治18年(1885)、東京大学医学部附属第一医院及び第二医院の院長をも兼任するなど、日本におけるドイツ流医学教育普及のリーダーとなりました。



 順天堂病院は、明治6年(1873)、下谷練塀町(現在のJR秋葉原駅付近)に、そして明治8年(1875)、湯島・本郷(現在地)に移転し現在に至っています。現在、順天堂大学は4学部・3大学院・6医学部附属病院を擁する「健康総合大学」として、順天堂病院1,020床、静岡病院552床、浦安病院653床、越谷病院226床、江東高齢者医療センター348床、練馬病院400床からなる総病床数3,199床の日本でも有数の病院群を有しています。



 順天堂の「順天」は、中国の古典「易経」にある「順天応人」(天の意思に願い、人々の期待に応える)と、孟子の言葉の「順天者存。逆天者亡」(自然の摂理に順うものは存続して栄え、天の理法に逆らうものは亡びる)に由来します。
 学是は「仁」、理念は「不断前進」であり、校章は「仁」を意匠化したものです。
 2011年5月15日(創立記念日) 学校法人 順天堂
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