東京都文京区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 文京区本郷2-1・2 油坂あぶらざか(揚場坂あげばざか) この坂は、油坂または揚場坂と呼ばれている。坂上の左側は本郷給水所公苑である。『油坂、元町1丁目と東竹町辺の間を南に下る坂あり、油坂と呼ぶ』(新撰東京名所図絵)とあるが、その名の起りは不明である。 この坂は別名『揚場坂』といわれているが、その意味は、神田川の堀端に舟をつけて、荷物の揚げおろしをするため、町内地主方が、お上に願って場所を借りた荷あげ場であった。この荷揚場所に通ずる坂道を揚場坂道と呼んだのがのちに『揚場坂』といわれるようになった。 『揚場坂と申し、里俗に近辺には無御座候得共、町内、持場揚場御茶の水河岸内に有之候に付、右揚場坂道を他所の者、揚場坂と唱候儀も有之趣に御座候』(御府内備考より) 文京区教育委員会 昭和62年(1987)3月 PR |
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永山
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男性
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