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東京都文京区の歴史
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所在地 文京区千駄木2-35先 

  藍染川と枇杷橋(合染橋)跡
 文京と台東の区境の道路は、うねうねと蛇行している。この道は現在暗渠となっている藍染川の流路である。
 『新編武蔵風土記稿』によれば、水源は染井の内長池(現在の都営染井霊園の北側の低地)で、ここから西ヶ原へ、さらに、駒込村から根津谷に入る。不忍池から上野の山の三枚橋下(公園入口のところ)で忍川となり、三味線堀から隅田川に注ぐ。
 川の名は、上流から境川・谷戸川(谷田川)・藍染川などと呼ばれた。藍染の名の由来はいろいろある。染井から流れ出るから、川筋に染物屋があり川の色が藍色に染まっていたからなど。
 前方の道路の交わるところに、藍染川に架かる橋があった。江戸時代の『御府内備考』や『新編武蔵風土記稿』によれば、この橋は合染橋、藍染橋、琵琶の橋(のち琵琶橋)などと呼ばれた。また旧八重垣町にも同名の藍染橋があった。
 川は、水はけが悪くよく氾濫したので、大正10年(1921)から暗渠工事が始められ、現在流路の多くは台東区との区境の道路となっている。
 昭和59年(1984) 文京区教育委員会
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所在地 文京区千駄木5-38-3

臨済宗妙心寺派
 白華山 養源寺

宗  派:臨済宗妙心寺派
開  山:元和2年(1616)
総本山:正法山妙心寺(京都府右京区)
宗  祖:関山慧玄禅師(無相大師)

 縁起
養源寺は、あの有名な春日の局が帰依していた秀岳智禅師が徳川幕府2代将軍徳川秀忠より三千坪の土地を拝領し関山、春日の局の長男稲葉丹後守越智正勝公が開基として創建され、徳川3代将軍家光とも係わりの深い由緒正しい寺院です。
当初は「本郷湯島切通し(現在の湯島)」にありましたが、明暦3年(1657)に明暦の大火ににより類焼。しかし万治元年(1658)には檀家であった稲葉美濃守正則公(稲葉正勝の子)により「駒込千駄木林(現在の住所)」に再建されました。落成の際には黄檗宗の開祖隠元禅師(インゲン豆を日本に伝えた禅僧)を請して入佛供養をしたそうです。
その後は、火災や震災または東京大空襲など幾多の難を乗り越え現在に至ります。
 特色
古き良き江戸情緒を色濃く残す「屋根千」エリアにありながら緑豊かで、山号が示すように桜の木が多く、春には墓参の方々を楽しませてくれます。また境内墓地には著名人のお墓があり、日本の歴史に触れることもでき、毎年夏休みには宮崎県宮崎市清武町か阿小学生の団体が故安井息軒先生の墓参にも来ております。
公共交通機関の便が良いので、ご法事にご列席される方にも非常に喜ばれております。





 養源寺には『安井息軒墓』、『稲葉正勝墓』、『吉田長叔墓』、『西村茂樹墓』、『米山保三郎墓』、『清の墓』があります。

 



所在地 文京区千駄木5-38-3 (養源寺)

  漢学碩匠 安井息軒墓 指定昭和31年(1956)3月3日
 安井息軒は、後に日向飫肥藩(5万1千石)の藩校振徳堂の総裁兼教授となった儒学者安井滄洲の次男として、寛政11年(1799)1月1日飫肥藩清武郷中野(現在の宮崎県清武町大字加納甲3368-1)に諱生まれた。幼名を順作、字を仲平といい、諱を衡、息軒は号の1つである。生家は「安井息軒旧宅」として国指定史跡となっている。
 大阪で篠崎小竹、江戸で昌平黌に入り古賀侗庵、さらに松崎慊堂に師事して考証学を学び、江戸藩邸(現在の千代田区内幸町2丁目)では飫肥藩第一の名君といわれた13代藩主伊藤祐相の侍読を兼ねた。文久2年(1862)塩谷宕陰、芳野金陵とともに昌平黌儒官に登用された。息軒は幼少時から古学派系の父滄洲を師とし、朱子学だけにとらわれず諸説を参考とし、時勢に対する的確な考証に優れ現実政治にも関心が深かった。著書に『海防私議』『論語集説』『毛詩輯疏』『管子纂詁』『左傳輯釋』などがある。明治9年(1876)9月23日土手三番町(現在の千代田区五番町12)の自宅において77歳で死去した。墓碑の篆額「安井息軒先生碑銘」は清国の江蘇省按察使(司法長官)應寶時、撰文は門弟川田甕江、書丹は日下部鳴鶴、鐫刻は谷中の石工廣群鶴である。墓域には後妻槙子、長女須磨子、須磨子の長男小太郎(朴堂)の子健一郎、次男謙助の子千菊の墓石がある。
 平成14年(2002)3月29日 東京都教育委員会
 

        Tomb of Yaui Sokken Haka
 He was born onJanuary 1,1799 in Nakano,Kiyotake village, Obi domain (today's Kiyotakecho,Miyazaki Pref.),as asecond son for a Confician scholar Yasui Soshu,who was later appointed as a president and professor at SHintokudo School esrablished by the Obi domain (today's Nichinan City;of 51,000 koku).His birthplace was designated as a historic site by the state,under the name of Yasui Sokken's former residence.
 In Osaka, hi learned with Shinozaki Shochiku, and entered an educationa institution under a direct control of shogunate, Shoheiko in Edo,where he was further trained with Koga Do-an and Matuzaki Kodo.In 1862,Sokken was appointed as a tutor for Ito Suketomo,the 13th lord of Obi domani and allegedly the greatest ruler in this domain,in  the lord's residence (located in today's lot of 2,Uchisaiwaicho,Chiyoda ward) in Edo.In 1862,he was apponted as an official Confucian teacher at the Shoheiko school,together with Shinoya Toin and Yoshino Kinryo.Sokken was had as his teacher his own father Soshu in the line of Classic Confuscian Learning,focused on commentaries under Han or Tang dynasties and consulted various doctrines not limited to the school of Zhu Xi,so he was excellent in precise verifications of situations of Confusius' days.He was also deeply interested in actual political situation of his days.His works include Presonal Views on Sea Defense and Collected Doctines on Analects of Confusius.He died at the age of 77 on September 23,1876,in his own house at Dotesaanbancho (today's Gobancho in Chiyoda ward). Epograph in seal script on a tomb stele,stating Epigraph for Dr.Yasui Sokken in a work of Ying Pao-shih,a provincial judge (Judge in Chief) in the Jiangsu Province of Qing China,and the main text was compiled by Sokken's discriple Kawada Oko,a tough copy in red ink on the stone for the stele was made by Kusakabe Meikaku,and engraving by Kou Gunkaku,a mason from Yanaka.
 Tokyo Metropolitan Board of Education


所在地 文京区千駄木5-38-3 (養源寺)

3代将軍家光の乳母 春日局の子
 稲葉正勝墓
 慶長2年(1597)~寛永11年(1634)
江戸前期の大名。父は佐渡守正成。母は、徳川3代将軍家光の乳母となった春日局である。
8歳で言え光に召し出され、累進して丹後守に叙せられ、後に小田原8万5千石の城主となった。
葬儀は、正勝を開基とするこの「養源寺」(当時は倚松庵と称した)で営まれ、将軍家光の名代阿部忠秋が弔詞を読んだといわれる。
 平成元年(1989)3月 東京都文京区教育委員会


所在地 文京区千駄木5-38-3 (養源寺)

 小説「坊ちゃん」に登場する清きよの墓(米山家)

 


所在地 文京区千駄木5-38-3 (養源寺)

日本弘道会開祖 泊翁
 西村茂樹墓 
 西村茂樹は、幕末の下総佐倉藩士であり、明治時代の文部官僚として教科書の編修や教育制度の確立に尽力した人物です。
 文政11年(1828)3月12日に江戸辰ノ口(現在の千代田区大手町和田倉門外)の佐倉藩邸に生まれました。儒学を安井息軒、松崎慊堂らに、洋学、砲術を佐久間象山らに学びました。嘉永6年(1853)藩命により佐倉藩の支藩であった佐野藩堀田家に仕え藩政に参画しました。
 明治6年(1873)には、森有礼、福沢諭吉らと明六社を起して、啓蒙思想運動を展開しました。明治9年(1876)には、東京修身学社を創立し、伝統的な日本道徳論を強調して『日本道徳論』『婦女鑑』などを著わし、皇室中心の修身倫理観の基礎を築きます。これは戦前の学校教育に根深く浸透しました。明治12年(1879)から文部省において『古事類苑』の編纂事業を指導しています。明治35年(1902)8月18日、75歳で死去しました。
 平成22年(2010)3月建設 東京都教育委員会

     Nishimura Shigeki Haka
 Nishimura Shigeki served for Sakura doman of Shimo-usa Province at the end of the shogunate,and subsequently,as an official in the Minisry of Culture during the Meiji Era,made great efforts for compolation of school textbooks and establishment of educational systm.He was born on March 12,1828 in the residence of the lords of Sakura domain at Tatsunokuchi in Edo(located outsede of Wadakura Gate,at today's Otemach in Chiyoda ward).
 He learned teachings ofConfucius with Yasui Sokken and Matsuzaki Kodo,as well asa European studies and artillety with Sakuma Shozan.Nishimura,following the order of a lord of his native domain,began in 1853 to serve for lord of Sano domain,the Hotta clan,a branch of Sakura domain,and participated in the domain's government.
 He launched the Meiji 6 Society in 1873,together with Mori Arinori and Fukuzawa Yukichi,in order to develop mobements based on thephilosophy of Enlightenment.Furthermore,Nishimura founded the Tokyo Morality School,while he wrote works including Discourse on Japanese Morality and Mirror of Women.He thus laid foundations for imperial family-centered ideas on morality and ethics.These ideas saw far-reaching effects on the school education until 1945.Since 1879,he directed  compilation works of the Encyclopedia of Ancient Matters in the Ministry of Culture.He died at the age of 75 on August 18,1902.
 Tokyo Metropolitan Board of Edukation


 


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