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東京都文京区の歴史
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所在地 文京区大塚3-28-7 (全林野会館)

屋久杉は下屋久営林署が小杉谷事業所を大正13年間開設以来昭和44年(1969)6月終山するまで44年間、小杉谷事業所を中心に伐採されてきましたが、終山と同時に全林野九州地方本部の要求に基づいて現在の栗生事業所を開設



同じ屋久杉でも樹齢1千年未満を「子杉」、1千年以上を「屋久杉」と呼んでおり世界最高の高令巨木であります。現存する最大の屋久杉は屋久町小杉谷標高1300メートル地点にあり、樹令推定7200年、樹高33メートル、胸高周囲16.1メートルの「縄文杉」であります。この盤木は栗生事業所内で伐採されたもので「栗生大盤」と命名し広く関係者の 参考に供したい。



1.樹種   屋久杉
1.原生地  鹿児島県熊毛郡屋久町栗生
1.樹令   2500年
1.直径   最大1.60メートル
1.材積   0.362立方メートル
 昭和52年(1977)2月  全林野労働組合九州地方本部

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所在地 文京区大塚4-49・文京区

 文京区立 大塚公園







 大塚公園には『大塚地蔵尊』、『露壇』、『文京区ラジオ体操発祥の地』、『住好稲荷神社』があります。

 


所在地 文京区大塚4-49豊島区 (大塚公園)

 大塚地蔵尊
  庚申塔の由来
 文字塔
延宝2年(1674年) 奉
造立庚申供養二世安楽修
 地蔵
正面三猿寛文5年(1665)
石碑一尊二世為安楽庚申供養成就修施工
 大日如来像
正面三猿 年代不詳
奉造立庚申供養二世安楽所施主19名
 観音
正面三猿梵字有り延宝6年(1678)8月大吉日
奉造立庚申供養二世安楽成施主26名
 

右の庚申供養塔は大塚辻町(現大塚5丁目9番)路傍にそれぞれ300年以前に往時の里人が豊作を祈り二世安楽の祈願をこめて奉造立して供養を続けられ幾代かの世代に守られて今日に及んでいる。昭和20年(1945)不幸戦火に被災しその後大塚公園に移された。
 平成8年(1996)12月吉日 大塚上辻地蔵講(新大塚駅前商店会)

























所在地 文京区大塚4-49豊島区 (大塚公園)

 文京区ラジオ体操発祥の地
文京区のラジオ体操は、昭和4年(1929)1月15日大塚仲町(現大塚4丁目42番)の本伝寺境内に町内有志が集ったのを始まりとする。
その後、隣接各町会の有志が合流し、3月17日、会場を当地に移し、大塚公園ラジオ体操会と称した。
ラジオ体操60年にあたり、これを記念する。
 平成元年(1989)3月27日 文京区教育委員会











所在地 文京区大塚4-49豊島区 (大塚公園)

 露壇
 「露壇」とは、テラスのことです。16世紀かあ17世紀のイタリアでは、地中海に面した丘陵地に裕福な市民のビラ(別荘)が多く造られました。そこでは斜面を階段状に造成した土地に、カスケード(水階段)やテラス(露壇)で結んだ庭を造り、下方に広がる風景を庭の一部に取り入れる(借景)という、独特の庭園の様式が発達し、「イタリア・ルネサンス式」又は「露壇式」と呼ばれています。文京区の公園では、大塚公園の他、元町公園(昭和5年〔1930〕開園)にも同様のデザインがみられます。
 この露壇は昭和3年(1928)に造られ、長い年月の間に老朽化が進みましたが、平成元年(1989)、開園当時の姿に復元しました。
 文京区役所



所在地 文京区大塚5-40

 希望の坂
 この坂の名は青柳小学校のみなさんからの募集により、昭和53年(1978)につけられました。青柳小学校は大正3年(1914)旧西青柳町に開校し、町名を校名としました。
 小学校は昭和35年(1960)高速道路建設のため、現在地に移転されました。坂上には新校舎記念碑が立ち、坂道は子どもたちが楽しく学べる通学路であり、希望にみちた子どもたちの将来を願って、坂の名を「希望の坂」としました。平成6年(1994)開校80周年記念に「希望の坂」の歌の発表がありました。
 ”希望の坂の上から元気な声が聞こえる 青い空に 白い校舎 明るく歌う声   
 緑に囲まれた 青柳小学校 この坂道は ぼくの宝だ いつまでも忘れない” 
 文京区教育委員会 平成12年(2000)3がつ        













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