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東京都文京区の歴史
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所在地 文京区小石川5

 「町内より東の方 松平播磨守御屋敷之下候坂にて、里俗団平坂と唱候 右は先年門前地之内に団平と申者舂米商売致住居仕罷候節より唱始候由申伝 年代等相知不申候」と『御府内備考』にある。
 団平という米つきを商売とする人が住んでいたので、その名がついた。
 何かで名の知られた人だったのであろう。庶民の名の付いた坂は珍しい。
 この坂の一つ東側の道の途中(小石川5-11-7)に、薄幸の詩人石川啄木の終焉の地がある。北海道の放浪生活の後上京して、文京区内を移り変わって4か所目である。明治45年(1912)4月13日朝、26歳の若さで短い一生を終わった。
  椽先(えんさき)にまくら出させて、
   ひさしぶりに、
    ゆふべの空にしたしめるかな
   石川啄木(直筆ノート最後から2首目)
 文京区教育委員会  平成5年(1993)3月

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所在地 文京区小石川5-9 (竹早公園)

 1928年(昭和3年)4月1日、竹早小学校がこの地で開校した。旧竹早町と久堅町の一部を学区として、近隣4校からの5年生以下の児童472名と教員14名、12学級をもってスタートした。現在の小石川図書館とテニスコートがある場所で、校舎は木造2階建であった。校名は、所在地の竹早町からとった。
 校訓”剛健、協同、勤勉”のもとに、充実した新しい学校創りを目指して、児童も教職員も、保護者も努力を傾けた。
 残念なことに、昭和20年(1945)5月25日の空襲により校舎が焼失し、1946年(昭和21)3月、在校生、卒業生の愛惜の想いを残し、18年間の歴史の幕を閉じた。
   校歌(一部) 
     理想も高く伸び出づる 
       竹の剛さを健げさを
         永劫(とわ)に矜(ほこ)りの竹早校
  文京区教育委員会  平成8年(1996)3月



所在地 文京区小石川4,5

    環三通り桜並木の由来
 かつて、このあたりは常陸府中藩主松平播磨守の上屋敷で、坂下には千川(小石川)が流れ、「播磨田圃」といわれた田圃があった。戦後できたこの坂は、播磨屋敷の跡地を通り、「播磨田圃」へ下る坂ということで、「播磨坂」とよぶようになった。
 坂の桜並木は、戦後間もない昭和22年(1947)、地元の人たちが植えたのがはじまりである。昭和28年(1953)には小針平三氏他、有志からの苗木寄贈により桜並木が生まれた。その後、並木植樹帯の整備がすすみ、平成7年(1995)には装いを新たにした桜並木が完成した。
 昭和43年(1968)には「桜まつり」が地元町会・婦人会の協力で開始され、今日まで桜の名所として区民に親しまれている。
 文京区教育委員会  平成8年(1996)3月



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