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東京都文京区の歴史
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所在地 東京都文京区白山1丁目・5丁目

 『妙清寺(みょうせいじ)に薬師堂有之候に付、里俗(りぞく)に薬師坂と愛唱(あいとなえ)申候』(『御府内備考』)坂上の妙清寺に薬師寺があったので、薬師坂と名づけられた。また、坂下に浄雲院(じょううんいん)心光寺があったので、浄雲寺坂とも呼ばれた。また近くに白山神社があり、旧町名が白山前野で、白山坂ともいわれるなど、別名の多い坂の一つである。

 『新選東京名所図会』には、『薬師堂は、土蔵造一間半四面。「め」の字の奉額、眼病全快者連盟の横額あり』、と明治末年の姿を記している。

 このお薬師は特に眼病に霊験あらかたであったようである。土蔵造は、江戸の防火建築で、湯島本郷辺の町屋が土蔵塗屋づくりを命じられたのは、享保15年(1730年)の大火後である。現存するものに無縁坂の講安寺本堂がある。

 平成14年(2002)3月 文京区教育委員会

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所在地 文京区白山1-34-6

天台宗
 南縁山 正徳院 圓乗寺(円乗寺)





 圓乗寺には『八百屋お七の墓』、『八百屋於七地蔵尊』があります。



 


所在地 文京区白山1-34-6 (圓乗寺)

 八百屋お七の墓
 お七については、井原西鶴の『好色五人女』など古来いろいろ書かれ語られて異説が多い。お七の生家は、駒込片町(本郷追分など)で、かなりの八百屋であった。天和の大火(天和2年〔1682〕12月、近くの寺院から出火)で、お七の家が焼けて、菩提寺の円乗寺に避難した。その避難中、寺の小姓の佐兵衛(または吉三郎)と恋仲になった。やがて家は再建されて自家にもどったが、お七は佐兵衛に会いたい一心でつけ火をした。放火の大罪で捕らえられたお七は、天和3年(1683)3月29日火安布里の刑に処せられた。数えで16歳であったという。3基の墓石のうち中央は寺の住職が供養のため建てた。右側のは寛政年間(1789~1801)岩井半四郎がお七を演じ好評だったので建立した。左側のは近所の有志の人たちが、270回忌の供養で建立したものである。
 文京区教育委員会 平成14年(2002)3月




所在地 文京区白山1-34-6 (圓乗寺)

 八百屋於七地蔵尊
 このあたりは昭和39年(1964)8月1日施工の新住居表示によって白山の一部となるまでは「指ヶ谷町」と呼ばれていた。
 その町名の由来については丙戌書上(鳳閣寺支配正宝院)は「町名指谷と相唱候儀、小石川村東の方凡五町程の場所字指谷と古来より申候間、右唱より町名に相成候儀と奉存候」云々と述べている。しかし、「指ヶ谷」の名の起りについては不明である。
 なお、旧指ヶ谷町の東北端に位置したこの南縁山円乗寺は元和6年(1620)宝仙法印によって開山された天台宗の寺院である。境内には芝居などで有名になった八百屋お七の墓がある。寺小姓の左兵衛という美少年と恋におちいったお七は、吉三郎なる村居の無頼の徒にそそのかされて我家に放火した。放火は未遂に終ったが、すぐ吉三郎と共にとらえられ、天和3年(1683)3月29日火刑に処せられた。生年16であったと伝えられている。
 文京区役所・文京区観光協会






所在地 文京区白山1

 浄心寺 
 「小石川指ヶ谷町より白山前町を経て東の方、本郷駒込東片町へ登る坂あり。浄心寺といふ」(新撰東京名所図会)
 浄心寺近くの坂なので、この名がついた。また、坂下に「八百屋於七」の墓所円乗寺があることから「於七坂」の別名もある。
 文京区教育委員会 平成19年(2007)3月









所在地 文京区白山5-33-15

曹洞宗
 醫王山 妙清寺



 


所在地 文京区白山5-36-5

浄土宗
 浄雲院 心光寺





 


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