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東京都文京区の歴史
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所在地 文京区本郷4-37

  十一面観世音菩薩



 元この地にあった天台宗真光寺の観世音銅像(座像長四尺八寸)は、十一面観世音菩薩と呼ばれ地域に親しまれている。東は現本郷通り、南は現春日通りに囲まれ、少し奥まったところに真光寺はあった。真光寺は藤堂高虎によって再建された寺であり、本郷薬師堂及び十一面観世音菩薩は真光寺境内に置かれていた。



 十一面観世音菩薩の蓮華座には、「六十六部供養佛 江戸神田鍛冶町 小林修理源義是作」と鋳物師の氏名が刻まれ、依頼主は「当寺第四世 大阿闍梨権大僧都 竪者法仰尚賢子具」とあり、「享保五庚子(1720)九月日」の紀年銘がある。

 

 観世音信仰が盛んになったのは奈良時代(710~794)からである。温顔で自ら修行の傍ら、多くの民生を教化、救済してくれるこの像に人々の信仰が集まった。十一面観世音は本来慈悲の面を基調に、時に応じ、場に従い、さまざまな顔を使い分け、人々を救済してくれるため、深く信仰の対象となった。
 真光寺は太平洋戦争で焼失し、世田谷給田に移転したが、この十一面観世音菩薩は罹災をまぬがれ、この地に残った。
 文京区教育委員会 平成16年(2004)3月

 

一度拝んだら忘れられない、おだやかなお顔、是非御参拝下さる様御推め致します。由来については数々のエピソードがご座いますが、簡単に申しますと今ありますお薬師様附近は昔、犯罪人の処刑場、つまり首切り場で、人も恐れて近よらない淋しい荒れ寺の一部でありました。夕暮れともなりますと、何十羽と言う鳥が飛んで来ては、晒し首の目玉をつつき出し、それは二た目と見られぬ地獄の有様であった、と古老は伝えて居ります。此処に全国六十六ヶ所の霊場に観音経を奉る六十六部衆と言う組織がありました。将軍吉宗の頃(1720)余りのあわれさに、此の人達が近郷近在の庄屋、名主を説きふせて寄附金を集め、御招来申し上げたのが此の観音様で御座います。それまで人の居つかなかった此の地に、数年を出ずして立派な門前町が出来上り、御薬師様の繁栄と共に本郷の名物となりました。
明治維新の折、佛教を廃止して釈迦の教えを捨てよ、之を廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)と言い、此の観音様も棒で叩かれたり、突かれたり、ひどい仕打ちを受けました。昭和20年(1945)終戦当時、皆様御存じの■論が、やはり観音さま受難の時期で、荒縄■むしろでぐるぐる巻きにされ、墓地に放り出される一幕もありました。然し再度に及び佛体への迫害にも、晃爾(かんじ)と耐えて「人々よ、人たる道誤るな、人の心を失うな、人こそ人の基なるぞ。」と傷だらけの佛体を晒して、人心荒廃した東京の焼野原に、正しい人間の在り方を訴えかけられたのは此の観音様であります。其の後経済の安定と共に心ある人々相集り、仏体修復しこの地の鎮めとして御安座願って居ります。
 昭和57年(1982)3月吉日 本郷薬師奉賛会
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