東京都文京区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 文京区目白台2-8-1 (日本女子大学) 成瀬記念講堂(文京区指定有形文化財) 日本女子大学の象徴的建物で、創立者、成瀬仁蔵の名を冠する。正門右手にある。 明治39年(1906)、工学士・田辺淳吉の設計、清水組(現在の清水建設株式会社)の施工で竣工した。明治時代のわが国の斬新な洋風講堂建築である。 その後、大正12年(1923)の関東大震災により外壁の煉瓦壁破損のため、今日みられる木造外壁に改修された。現在も残る基礎部分の煉瓦構造、ラテン十字型の平面、さらに二層の屋上小塔などに、創建当初の姿をみることができる。講堂の内部は、中央に演壇、慮側にウイングと呼ばれる翼廊、2階桟敷などを設け、ステンドグラスを用いたゴシック風の大きな窓を配している。 総体的に、西洋教会堂の基本形式をふまえながら、西洋中世貴族の館の大ホール様式を加味した設計で、今に残る明治時代の学校建築として貴重である。 学校法人日本女子大学 文京区教育委員会 平成3年(1991)3月 PR |
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永山
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