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東京都文京区の歴史
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所在地 文京区湯島2

  横見坂よこみざか横根坂よこねざか

 『御府内備考』に、「右坂は町内より湯島三組町え上り候坂にて、当町並本郷新町家持に御座候・・・・里俗に横根坂と相唱申候」とある。
 坂下の蔵前通りの新妻恋坂の一帯は、かつて樹木谷といわれ、樹木が茂っていた。この谷から湯島台に上るこの坂の左手に富士山が眺められた。
 街の古老は、西横に富士山がよく見えて、この坂を登るとき、富士を横見するところから、誰いうとなく横見坂と名づけられたといっている。
 坂の西側一帯は、旧湯島新花町である。ここに明治30年(1897)頃、島崎藤村が住み、ここから信州小諸義塾の教師として移って行った。
 その作品『春』の中に、
「湯島の家は俗に大根畠と称えるところに在った。・・・・大根畠は麹の香のする町で」とある。ローム層の台地は、麹室には最適で『文政書上』には、百数十軒の麹屋が数えられている。
 昭和56年(1981)3月 文京区教育委員会

 
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