東京都文京区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 文京区本駒込6-16-3 (六義園) 新脩六義園碑しんしゅうりくぎえんひ 六義園は作られた当時から評判が高く、完成して4年後の宝永3年(1706)10月には、ついには当時の霊元上皇が、六義園の景勝地十二境八景を選び賜り、加えて公家たちの和歌を添えて吉保に下賜しています。上皇が一幕臣の庭園に和歌を贈るというのは極めて異例のことでした。 これほど評判が高かった六義園ですが、3代目信鴻が没した寛政4年(1792)以後は、ほとんどその利用がなく、荒廃してしまいました。そこで、文化6年(1809)、4代保光は、家臣に命じて復旧工事を行いました。このとき、失われた八十八境の石柱を補いましたが、やはり園内にあった十二境八景の碑はそのほとんどが失われていました。 この時に建てられたのが、この「新脩六義園碑」です。この石碑の後面にはこの復旧工事の経緯が、また前面には「六義園八景」の名称が記されています。 PR |
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永山
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