東京都文京区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 ユリウス・カール・スクリバ(1848~1905)胸像 所在地 文京区本郷7-3-1 (東京大学) Julius Karl Scriba (ユリウス・カール・スクリバ) ヘッセン大公国ラインハイムに生れる。ハイデルベルグ大学で医学を学び、フライブルグ大学外科で助手を務めた。明治14年(1881)に来日し、20年間にわたり東京大学医学部で教育・診療に従事し、わが国の外科学の礎を築いた。無菌手術とエスマルヒ駆血帯を用いた無血手術を導入したといわれる。明治24年(1891)に大津で襲われたロシア皇太子の治療と明治28年(1895)に日清戦争の講和会議に出席して狙撃された李鴻章の治療のため、政府より派遣された。明治34年(1901)に東京帝国大学での任期が終了、その後、聖路加国際病院主任に就任したが、明治38年(1905)に肺結核と糖尿病により鎌倉で没した。青山霊園外国人墓地に眠る。 PR |
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永山
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