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東京都文京区の歴史
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所在地 文京区目白台2-8-1

 日本女子大学

ホームページ ⇒ http://www.jwu.ac.jp/grp/



 日本女子大学には『成瀬記念講堂』、『旧成瀬仁蔵住宅』があります。
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所在地 文京区目白台2-8-1 (日本女子大学)

 成瀬記念講堂(文京区指定有形文化財)
 日本女子大学の象徴的建物で、創立者、成瀬仁蔵の名を冠する。正門右手にある。
 明治39年(1906)、工学士・田辺淳吉の設計、清水組(現在の清水建設株式会社)の施工で竣工した。明治時代のわが国の斬新な洋風講堂建築である。
 その後、大正12年(1923)の関東大震災により外壁の煉瓦壁破損のため、今日みられる木造外壁に改修された。現在も残る基礎部分の煉瓦構造、ラテン十字型の平面、さらに二層の屋上小塔などに、創建当初の姿をみることができる。講堂の内部は、中央に演壇、慮側にウイングと呼ばれる翼廊、2階桟敷などを設け、ステンドグラスを用いたゴシック風の大きな窓を配している。
 総体的に、西洋教会堂の基本形式をふまえながら、西洋中世貴族の館の大ホール様式を加味した設計で、今に残る明治時代の学校建築として貴重である。
 学校法人日本女子大学
 文京区教育委員会 平成3年(1991)3月













所在地 文京区目白台2

 清戸坂(清土坂)
 延宝4年(1676)御三家、尾張徳川家の御鷹場が、中清戸(現清瀬市)につくられた。将軍もしばしば出かけて鷹狩りを行った。これが現在の目白通りである。
 首都高速道路(5号線)護国寺出入口(護国寺側)から目白通りに向っての広道は、昔から”清戸道に登る坂”といことで『清戸坂』といわれた。
 江戸時代、この坂の北側一帯は、雑司ヶ谷村の畑(現在の雑司ヶ谷墓地)で坂の道に沿って雑司ヶ谷清土村百姓町があった。
 明治10年代から坂の北側には牧場と牧舎が建ち、平田牧場と言った。牛乳を売る小売店があり、人々が休憩した。■竿には、『■■の牛の乳』と仮名とローマ字で書かれていたという。
 文京区教育委員会 昭和62年(1987)3月

 


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