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東京都文京区の歴史
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仰高門(ぎょうこうもん)

所在地 東京都文京区湯島1-4-25

  湯島聖堂 史跡 大正11年(1922年)3月 指定  

 寛永9年(1632年)、尾張藩主徳川義直林道春(羅山)をして、上野忍ヶ丘に先聖殿を造営せしめしに始まる。その回禄(火災)の災に罹るや、元禄3年(1690年)、将軍綱吉之を今の地に移して、大成殿と稱せり。後、寛政11年(1799年)大成殿及び杏壇・入徳・仰高諸門を再建し、明治維新の際、大学を此地に置くに及び、一旦 孔子 以下の諸像を撤去せしも、後、もとに復せり。
 建造物は暫らく東京博物館の一部に充てたりしたが、大正12年(1923年)9月1日、関東大震災の為、入徳門・水屋等を除くの外、悉く焼亡せしを昭和10年(1935年)4月4日鐡筋混凝立構造(てっきんこんくりーとこうぞう)に依りて原型に複せり。
   昭和11年(1936年)3月 文部省

  入徳門

 創建は古く、雄略天皇2年(458年)と伝えられる。太田道灌が再興、徳川家康は江戸入りの際、神領5万石を寄進している。
 菅原道真を祭るこの神社は、学問の神様として別名湯島天神としても広く知られている。

 杏壇門

 境内には銅製の鳥居や、迷子探しの奇縁氷人石がある。
 また、江戸時代には谷中感王寺(天王寺)目黒不動と並び三富と呼ばれ、幕府公認の富くじ(富突き)を発行した。
 泉鏡花作の新派の名作『婦系図』の舞台としても有名で、新派の記念碑や鏡花の筆塚もある。

 大聖殿      

 湯島聖堂と孔子
「孔子」は2500年ほど前、中国の魯の国(今の山東省曲阜市)昌平郷に生れた人、その教え「儒学」は東洋の人々に大きな影響を与えました。儒学に傾倒した徳川5代将軍綱吉は、1690年(元禄3年)この地に「湯島聖堂」を創建、孔子を祀る「大成殿」や、「学舎」を建て自らも「論語」の講釈を行うなど学問を奨励しました。1990年(平成2年)聖堂は創建300年を迎えています。

 昌平坂学問所跡
1797年(寛政9年)幕府は学舎の敷地を拡げ、建物も改築し、孔子の生まれた地名をとって、「昌平坂学問所」(昌平黌ともいう)を開きました。学問所は、明治維新(1868年)に至るまで70年間、官立の大学として江戸時代の文教センターの役割を果たしました。

 近代教育発祥の地
明治維新により、聖堂は新政府の所管となり、明治4年(1871)に文部省が置かれたほか、国立博物館(今の東京上野)、東京師範学校(今の筑波大学)、東京女子師範学校(今のお茶の水女子大学)などが置かれ、聖堂は近代教育発祥の地となったのです。
 
 現在の湯島聖堂
もとの聖堂は、4回もの江戸大火にあって焼失、再建を繰り返し、さらに大正12年(1923)関東大震災でも焼失しました。今の建物は1935年(昭和10年)鉄筋コンクリート造りで、再建したものです。ただし、入徳門は1704年(宝永元年)に建てられたものがそのまま残っており、貴重な文化財となっています。

 境内には『孔子銅像』があります。
                           

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