東京都文京区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 東京医科歯科大学 所在地 文京区湯島1-4・5 (湯島聖堂・東京医科歯科大学) 近代教育発祥の地 江戸時代、このあたりは学問(儒学)の府であった聖堂(孔子廟)の一部、昌平坂学問所(昌平黌)があったところである。 寛政9年(1797)学問所の学寮、宿舎が建てられ、旗本は藩士の子弟を対象とした教育が施された。 明治維新後、学問所は新政府に引き継がれ、昌平学校、大学校、東京大学と発展していった。 明治4年(1871)に文部省が設置され、我が国の近代教育の原点となる施策が展開されることになった。当地には明治5年(1872)師範学校(翌年、東京師範学校と改称)が開校し、その後、隣接地に東京女子師範学校が置かれた。 東京高等師範学校は明治36年(1903)に大塚窪町に移転し、後に東京教育大学(現筑波大学)となり、東京女子高等師範学校は昭和7年(1932)大塚に移転し、後に新制大学としての発足の折、この場所の地名を校名に冠し、お茶の水女子大学と称し現在に至っている。 文京区教育委員会 平成19年(2007)3月 湯島聖堂 PR |
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永山
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