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東京都文京区の歴史
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所在地 文京区向丘2-25-10

曹洞宗
 大智山 海蔵寺
 
    身禄行者の墓
 身禄行者(寛文11年〔1671〕~享保18年〔1733〕)は、食行行者ともいい、江戸庶民を中心にさかえた富士信仰の中興の祖として知られた人。
 庶民の苦しみを救おうと、富士山七合五勺の烏帽子岩近くの石室で断食入定(食を絶って死ぬこと)した身禄の教えは、広く庶民の信仰をあつめた。身禄行者の骨が分骨埋葬されたといわれる墓の墓碑は、富士山をかたどった溶岩の山上に建てられている。左にある「参食行身禄■」とある小さな墓は初めの墓である。
 ちなみに富士信仰は「富士講」として組織され、江戸市中の寺社境内に「小富士」が築かれた。区内にある「富士神社」は今に残る富士信仰の史跡である。
 東京都文京区教育委員会 平成2年(1990)3月






 海蔵寺には『身禄行者墓』、『立原翠軒夫婦の墓』、『第10代横綱 雲龍久吉墓』、『都家かつ江之碑』、『句碑』があります。

 
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