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東京都文京区の歴史
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所在地 文京区本郷7-3-1 (東京大学)

 東京大学医学部と附属病院の創立は安政5年(1858)、神田お玉ヶ池の川路聖謨の屋敷地に開設された種痘所にさかのぼる。種痘所は類焼により同安政5年(1858)、下谷和泉橋通りに移転した。種痘所の門扉は厚い板を鉄板で囲い、鉄板の相田を頭の丸い鋲釘で打ちつけ真黒に塗ってあったので、江戸の人々は種痘所を鉄門と呼んでいた。種痘所は西洋医学所、医学所、医学校、大学東校、東校、東京医学校と改称され、明治10年(1877)に東京大学医学部となった。
 東京医学校は明治9年(1876)に本郷に移転した。本館は時計台のそびえる洋館で、現在の附属病院外来棟玄関の辺りに建てられた。正門はその向かい、現在の南研究棟(通称赤レンガ)の位置(本地点より西に約30メートル)に設置された。移転当初は種痘所の門扉も使用されたが、やがて格子模様の鉄製扉に変えられた。 
 当時、医学部正門は本郷キャンパスの正門であった。明治17年(1884)に法・文学部が、翌明治18年(1885)理学部が神田一ツ橋から移転してきたことにより、共通の公式門として本郷通り側に正門が設けられ、以後、医学部正門は鉄門と呼ばれるようになった。しかしながら、大正期に鉄門前の民有地が構内に取り込まれたため鉄門は撤去された。
 東京大学医学部の創立150周年を記念し、鉄門をゆかりのある無縁坂上に再建した。末永く多くの人々に愛されることを願うものである。
  東京大学医学部・医学部附属病院
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