東京都文京区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 文京区本郷1 この神田川の外堀工事は元和年間(1615~1626)に行われた。それ以前に、ここにあった高林寺(現向丘2丁目)の境内に湧き水があり、”お茶の水”として将軍に献上したことから、「お茶の水」の地名がおこった。 『御政府備考』によれば「御茶之水は聖堂の西にあり、この井名水にして御茶の水に召し上げられしと・・・」とある。 この坂は神田川(仙台堀)に沿って、お茶の水の上の坂で「お茶の水坂」という。坂の下の神田川に、かって神田上水の大樋(水道橋)が懸けられていたが、明治34年(1901)取りはずされた。 お茶の水橋低きに見ゆる水のいろ 寒む夜はふけてわれは行くなり 島木赤彦(1876~1926) 平成9年(1997)3月 文京区教育委員会 PR |
町名
サイト内検索
アクセス解析
プロフィール
HN:
永山
性別:
男性
|