東京都文京区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 文京区小石川5 「町内より東の方 松平播磨守御屋敷之下候坂にて、里俗団平坂と唱候 右は先年門前地之内に団平と申者舂米商売致住居仕罷候節より唱始候由申伝 年代等相知不申候」と『御府内備考』にある。 団平という米つきを商売とする人が住んでいたので、その名がついた。 何かで名の知られた人だったのであろう。庶民の名の付いた坂は珍しい。 この坂の一つ東側の道の途中(小石川5-11-7)に、薄幸の詩人石川啄木の終焉の地がある。北海道の放浪生活の後上京して、文京区内を移り変わって4か所目である。明治45年(1912)4月13日朝、26歳の若さで短い一生を終わった。 椽先(えんさき)にまくら出させて、 ひさしぶりに、 ゆふべの空にしたしめるかな 石川啄木(直筆ノート最後から2首目) 文京区教育委員会 平成5年(1993)3月 PR |
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永山
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