東京都文京区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 東京都文京区白山1丁目・5丁目 『妙清寺(みょうせいじ)に薬師堂有之候に付、里俗(りぞく)に薬師坂と愛唱(あいとなえ)申候』(『御府内備考』)坂上の妙清寺に薬師寺があったので、薬師坂と名づけられた。また、坂下に浄雲院(じょううんいん)心光寺があったので、浄雲寺坂とも呼ばれた。また近くに白山神社があり、旧町名が白山前野で、白山坂ともいわれるなど、別名の多い坂の一つである。 『新選東京名所図会』には、『薬師堂は、土蔵造一間半四面。「め」の字の奉額、眼病全快者連盟の横額あり』、と明治末年の姿を記している。 このお薬師は特に眼病に霊験あらかたであったようである。土蔵造は、江戸の防火建築で、湯島本郷辺の町屋が土蔵塗屋づくりを命じられたのは、享保15年(1730年)の大火後である。現存するものに無縁坂の講安寺本堂がある。 PR |
町名
サイト内検索
アクセス解析
プロフィール
HN:
永山
性別:
男性
|