東京都文京区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 文京区白山1-34-6 (圓乗寺) 八百屋於七地蔵尊 このあたりは昭和39年(1964)8月1日施工の新住居表示によって白山の一部となるまでは「指ヶ谷町」と呼ばれていた。 その町名の由来については丙戌書上(鳳閣寺支配正宝院)は「町名指谷と相唱候儀、小石川村東の方凡五町程の場所字指谷と古来より申候間、右唱より町名に相成候儀と奉存候」云々と述べている。しかし、「指ヶ谷」の名の起りについては不明である。 なお、旧指ヶ谷町の東北端に位置したこの南縁山円乗寺は元和6年(1620)宝仙法印によって開山された天台宗の寺院である。境内には芝居などで有名になった八百屋お七の墓がある。寺小姓の左兵衛という美少年と恋におちいったお七は、吉三郎なる村居の無頼の徒にそそのかされて我家に放火した。放火は未遂に終ったが、すぐ吉三郎と共にとらえられ、天和3年(1683)3月29日火刑に処せられた。生年16であったと伝えられている。 文京区役所・文京区観光協会 PR |
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プロフィール
HN:
永山
性別:
男性
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